論座 2007年4月号

harowanwan2007-03-27

  • 「『丸山眞男』をひっぱたきたい 希望は、戦争。」への応答

論座の2007年4月号は、1月号の赤木智弘「『丸山眞男』をひっぱたきたい」に対するいくつかの「応答」が特集の一つだったので買ってみる。


書いているのは、佐高信、奥原紀晴、若松孝二福島みずほ森達也鎌田慧斎藤貴男 といった面々で、豪華というか、いかにも朝日とみるか微妙なラインナップ。


読んでみての感想を一言でいえば、これでは反論ではなくて、ツッコミにしかなっていないということ。赤木智弘の問題提起が、「いまの格差構造をひっくりかえす具体案は何か、それは戦争しかない」であるのに対して、フリーターこそが戦争に行かされる(福島みずほ)ギャンブルに負けるのはあなただ(森達也)は、戦争では格差は解消されないという指摘をしている。だが、ではどうすれば格差が解消されるかというのは示せていない。だからツッコミにしかなっていない。佐高信若松孝二斎藤貴男に至っては、単なる精神論の説教でしかない。精神論の説教なんて、「自己責任だ」と批判するネオリベと結局同じでしかないとおもう。彼らは、赤木智弘が納得すると思うのだろうか?
あるいは「若者の困窮状態は、「やる気」や努力ではどうにもならないレベルまで来ている。(P40)」という現状認識をもつ雨宮処凛が納得すると思うのだろうか?

若者困窮状態は、「やる気」や「努力」ではどうにもならないレベルまできている。フリーターの平均年収は106万円。今のままでは、この層の年収は生涯にわたり変わらない。30代になっても、40代になっても、50代になっても。政府の「再チャレンジ支援総合プラン」では2010年までにフリーターを2割減らすことを目標にしているが、残りの8割はどうすなるのだろうか。
「貧乏」を逆手に反撃が始まった/雨宮処凛 P40

納得すると思っているのであれば、まさに同じ号の以下の指摘が当てはまってしまっている。

左サイドは総じて何かを批判するときは、相手が「どのようなものであるか」ばかりに目がいき、「どうありたいか/どのようなものになりたいか」ということに心を砕くことがないようだ。左はそれこそロジカルに、蓄積した知識をフルに出しながら、ときにペンダトリー(きらびやかな教養のこときもの)をふりかざしつつ、”正しく”批判している。それはどうしようもなく「正論」だったりする。そこで目指されているのは「論破」であり、議論に「勝つ」ことである。(中略)しかし、危惧されるのは、左が、右と名指しされる人間が抱いているであろう願望や夢、希望、情熱(もちろん裏返せば、それはたやすく嫌悪や憎悪、京都、敵意になるのだが)といったことがらに、ほとんど目を向けていないことである。
左翼には、愛が足りない いうほど、愛していない/入江公康 P52

(そうなると、赤旗編集長の奥原紀晴や、鎌田慧は解決策を提示しているだけ誠実だとおもう。党の宣伝でしかない、と言ってしまえばそれまでだけど。)

どの「応答」にも抜け落ちているのは、格差は相対的なものであって、絶対水準の問題ではないという理解ではないかとおもう。戦争になったら真っ先に戦場に送られるのはフリーターだというツッコミ自体はまとうだとおもうが、「戦場に送られないであろう団塊の世代もまた困窮するから、全体として格差自体は縮小するのだ」という反論をうけたらどうするのだろうか?赤木智弘の世代のいだく格差感は、経営層とフリーターではなく、団塊やバブル世代 vs. 氷河期世代 というところにあると思うのだけど、そこが理解されていないように思う。

そーゆーなら、お前具体案を出せといわれたら、も、これは非正規雇用に対する法的規制と所得再分配の強化しかないでしょ、とか思うのだけど。もちろん、それをやれば産業の国際競争力は落ちて、さらに不景気になるかもしれないし、市場介入すれば全体として効率化はされないわけだけど、全体として均衡が増すならそれでいいんじゃないかな。

*1

  • グローバルな公衆衛生の課題(下)/ローリー・ギャレット

拾い物だったのは、FOREIGN AFFAIRSから転載のこの記事。
HIVやその他の公衆衛生状況を改善しようとする海外からの援助が、結果的にその国の公衆衛生状況を悪化させているのではないか、という指摘。

欧米のNGOや経済協力開発機構OECD)の支援のもとで展開されている各種プログラムに現地の医療関連の人材が動員されていることが、問題をさらに複雑にしている。国際通貨基金IMF)、世界銀行などのドナー期間への財政その他の報告義務を満たす必要があるために、これらの援助プログラムは、現地のエコノミスト、会計士、通訳部門の人材も奪い取っている。(中略)厳格なガイドライン、あるいは国連機関、NGO、ドナーが道義的なコンセンサスを形成しない限り、すでに大きな問題を抱え込んでいる途上国の保険担当省から、ますます多くの人材が流出していくことになる。(P282)

一方、外国から大規模な資金が貧困国の公的部門に投入されれば、現地の製造業の整備と経済開発が損なわれると指摘する専門家もいる。IMFのアルビンド・スブラマニアンは、モザンビークウガンダの優れた人材のすべては、いわゆる「援助産業」に吸収されてしまっていると指摘し、グローバル・デベロップメント・センターのスティーブン・ラダレットも、外国からの援助プログラムが、現地での技術革新や企業の流れを遮断している部分があるという。
より切実な問題は、現地でHIVエイズ対策プログラムその他に関わっている公衆衛生スタッフやマネジャーの賃金上昇が、」他の公的部門の賃金上昇圧力となり、インフレが誘発されるおそれがあることだ。そうなれば、富める者と貧困に苦しむ者との経済格差はますますひろがり、生活必需品のコストを移民の手の届かないレベルへの押し上げてしまう。うまく管理しないことには、先進国からのキャッシュの流入は、皮肉にも、現地の産業が成長し、輸出競争力を強化する可能性をつみ取る危険があるだけでなく、栄養失調やホームレスなどの問題をさらに深刻にしてしまいかねない。(P283-P284)

要するに、援助によって、クラウディングアウトみたいなこと(ちょっと構造が違うけど)が起こっているというのだ。

このあたり、梶ピエールさんの以下の記事と併せて読むと、好意が逆効果になる構造みたいなところで興味深い。

http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20061220#p1

*1:「『丸山眞男』をひっぱたきたい 希望は、戦争。」への応答に関して、交差する領域/萱野稔人が触れている。そっちもあわせて読み比べをお薦め。

http://blog.yomone.jp/kayano/2007/03/post_98c7.html