アキバ通り魔事件をどう読むか

アキバ通り魔事件から2ヶ月弱たった7月に発行されたムック。20人強の評論をあつめたもの。

評論をおおきくわけると、あの事件から、派遣や格差の問題を語るものと、あの事件を元に社会問題を語ること自体に批判的なものに分かれている。
赤木智宏や雨宮処凛はもちろん前者だし、経済的ではなくモテの格差から物語る三浦展も基本的な構造は同じだ。


それに対して、萩上チキの「物語の暴走を招くメディア」での分析は以下のようなもの。

 言うまでもなく、事件に元々意味が備わっているわけがないし、「兆候」を読み取ろうとする試みも後付にしかならない。ただ、事件によって衝撃を受けた人々がそこに意味を与えていくプロセスがあるのみだ。事件は常にメディアと言語によって構成されていく。そこに正解はない。(P94)」

同じ事件が大量発生しているというのであれば別だが、単発の事件が、なんらかの「兆候」を示しているということはいえない。(もちろん、同様に示していないともいえないが。)


だとすれば、ただ一つの事件から帰納的にその背景構造を読み解こうとするのは無理がある。だから、この本(あるいは同種の本)を読む際には、この事件に対してどのような物語が読まれたのか、ということが重要なのだろう。事件自体には意味はなく、人々がどのような物語を欲しているかを表すメディアとして機能しているということだ。


もちろん、この本もそうであるように、編集という主観によって操作されたサンプルであるということは一つの留保ではあるけど、出版がビジネスである程度の精度で写し出されていると考えていいんじゃないかな。だからこそ、この事件の直後に政府からも派遣の見直しということが出てきた訳だし。

一点だけ気になるのは、宮台真司が指摘している以下の点。

・・・そうした発言がこの事件を「テロに仕立て上げ」ます。実際、事件のおかげで「日雇い派遣を禁止する」「派遣法の改正を目指す」という話になりました。
 容疑者が意図したかどうかに関係なく、事件が「政治テロ」として成功したわけです。(P81)

別のところで佐藤優も指摘しているのだけど、「派遣労働者の社会に対するテロ」という物語によって、同種の事件をひきおこすことにならないか、ということだ。
そこがちょっとヤな感じ。


アキバ通り魔事件をどう読むか!? (洋泉社MOOK)

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