ドキュメンタリーは嘘をつく
久しぶりに、ゆったりした休日。
あと少しのこっていた、森達也の「ドキュメンタリーは嘘をつく」を読み終わる。
この本で、彼の言いたいことは、シンプルだ。タイトルを読むだけでいい。ドキュメンタリーは作家の物であり、報道ではない(情報ではないと言い換えてもいい)ということだ。
ドキュメンタリーにおける「やらせ」を問題ないと彼は主張する。問題なのは、対象との関係性が現れているのかだと。
なるほど、と思った。
ドキュメンタリーをとる人が同じことを考えているかどうかはわからないが、ドキュメンタリーというのは何なのか、を突き詰めて到達した一つの答えだとはおもう。
勢いで、A と A2 を注文。
- 作者: 森達也
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2005/03/01
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しかし、ドキュメンタリーが作家のものであるのは理解できるが、それは報道も同じなのではないか?と思う。起こった事件の中から何を報道し、どの映像を使うかというのを考えるのは報道でもまったく同じだろう。中立を目指そうとしても、それが論理的に無理だというのは森達也も主張する通りだ。
だったら、ニュースとドキュメンタリーの違いは、作家性を表に押し出すのか、逆にできるだけ取材者の存在を隠蔽しようとしているかだけの違いしか残らない。
多分、そうなんだろうと思う。
なら、真実なんて「言葉」に意味はない。
あるのは「媒体としての情報」だけだ。