現代思想の今月号の特集は、「反日」。上海の事件をふまえてということは、かなりクイックに反応。青土社もなかなか商売人。
特集記事は、長いの短いのあわせてざっと30本からなっている。
正直いって、「心からの謝罪を」とか、「誠意をみせる」べきとかいっている主張は無意味だ。だって、そんな対応したかどうかの基準のあいまいな要求じゃ対応不可能でしょう。「心がこもっていない」かどうかなんて、その人の主観でしか計れないのだから、終りないですもん。日本の社会で「誠意をみせろ」という言い方がもっとも似合うのが、その筋の人たちの最初の要求であることを考えればわかる。正しい対処は、「相手にしない」「早めに警察なりに相談しましょう」だ。興奮した当事者の口からでてくるならまだ分かるが、仮にも評論なんだから、「心からの謝罪」なんて言葉に意味がないことはわかっても良さそうだと思うのだけど、それは変?
注目したのは
- 「わたしたち」という救済 崎山直樹、高口康太
- 「国民国家の内と外」林志弦
ここで指摘されているのは、教科書問題が事実誤認の問題ではなく、その解釈=意味付けの問題であるということ。だから、日中韓で歴史学者が議論をして、教科書にかかれた事実関係を擦り合わせることはそれ自体は重要だとしても、教科書問題はそれでは解決しない。考えてみれば当たり前だ。「xxxはなかった」と書くのは事実に反するが、記述しないことは別に事実関係を否定しているわけでもなんでもない。数多くの歴史上の事柄の、何をとりあげ、何をとりあげないかというのは、まさに意図であり、その背景には「史観」がある。問題が「史観」なら、事実関係の修正ではなにも解決しない。
で、そうはいいつつ、前述の「わたしたち」という救済と
- アジア地域主義の中の他者 土佐弘之
を併せると、今の日本の立場に対する一つの解釈がみえてくる。
東アジアの一体感を強めるためには、輪郭をクリアにする必要があって、そのためには、「わたしたち」ではない他者を必要としているということ。例の、自己を規定するのは他者の存在だという話だ。で、日本は正にそこ「他者」の立場にハマりつつあるということ。ここでいう他者は、「感情的な仮想敵」といったほうが具体的かもしれない。EUからみたアメリカは、そういう要素をもっているし、あるいはトルコもそうだろう。「いじめられっ子を作ることで、クラスが団結する」というのと同じなのである。これまで、超大国中国がその役にはまっていた。それが、日本に移りつつある。
これがやっかいなのは、ベースが感情だから、論理的に説得することは不可能だということだ。だとしたら、日本のとるべきことは、どんなことをしても、「いじめられっ子」にならないように、かつ可能ならば、安定的な「いじめられっ子」を用意することである。で、具体的にはどうするかといえば
その国以外に、口先で誤ってすむなら誤りまくってしまえばいい。媚びてもいいから友だちという立場を死守しよう。そのかわり、「いじめられっ子」には、徹底的に強くでる。そして、ことあるごとに「いじめられっ子」が、汚く、劣っていて、私たちとは違う と主張し続けること。
これしかない。
だって、国際社会には、熱血漢で介入してくる金八先生はいないし、転校もできないのだから。理屈じゃないのだ。
さて、では中国や韓国は外交の場で今どんな行動をとっているか考えてみよう。
日本には、常に「謝罪と賠償」を求め、東南アジアの国々とは個別の外交を推進し、援助をおこなう。ことある毎に、「日本の謝罪がない」と批判し「日本の侵略の野望」を声高に叫ぶ。
そう、「反日」とは、東アジアの世界における、「いじめられっ子」の位置の押し付けあいに他ならない。
そうすると、小泉戦略は結果的には悪くないといえるかも。中国・韓国には強くでて、いっさい謝罪しない。そのかわり、東・東南アジアにはいくらでもあやまって援助もどんどんする。その一方で、中国の脅威を指摘し続ける。
唯一問題があるのは、この「いじめられっ子」押し付け合いに負けた場合のリカバリプランがないことだろう。
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あと、
- 「越境」する日韓のポピュラー文化 毛利嘉孝
には、みみより情報。韓国の「ローラーコースター」というグループは注目かも。小西康陽も注目しているそうだし。