旭屋の閉店の時に買った雑誌。
特集は「戦争と平和のメディア」
「戦争プロパガンダと記憶」と題した座談会のなかで、(本題と多少離れたところで)、西谷修が「沖縄のビジュアル・アーカイブはほとんど沖縄の人ががとったものではない」という指摘をしていた。なるほどと思うと同時に、じゃあ、山形のビジュアル・アーカイブはどうなんだとか、佐賀ならどうなんだと考えていくと、実際には東京以外の地域はみんなそうなのではないかと思う。もちろん、撮影者は山形出身だったり佐賀出身だったりするわけだろうけど、それは東京のマスコミというギルドの中にいったん取り込まれて、その視点から撮りに行くのが大多数じゃないだろうか?
「<八月十五日>の連続と断絶」では、大沢真幸と佐藤卓己が対談。後半で立ち位置の喪失というテーマが語られていて印象に残る。批判する側にあなたはいるのか、それとも批判される側にいるのか、あるいは第三者なのか、はっきりさせろということ。大昔、大学の研究室で、中立な第三者の立場は成立するかという議論があって、その時は中立は成立しうるということを主張した覚えがある。すべてを文化的相対論で語るのは、斜に構えればいいだけなので、お気楽極楽なうえ、そこそこ格好がつく。そんな訳で、そういう立場をとるのが多かったのだけど、今になって考えれば中立なんて幻想だ。だって、中立というのは左右の端が決定して初めて中立なのだ。端がきまらない段階では、中立を選ぶにしても「自分の考える中立点」以外取りようがない。
とか思うのだけど、あと5年もしたら別のことをいっているかも。(と、予防線を張るのであった。->誰に予防線はってんだよ!)
とかいうのは、かなり元の対談とはずれた感想なのだけど、海外で認識されている「戦争の終わった日」というのは、八月十五日ではないというのは、新たな発見だった。とりあえず、八月十五日の神話は買ってみようと思う。
八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)
- 作者: 佐藤卓己
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/07/06
- メディア: 新書
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