男子の本懐

金解禁をおこなった浜口内閣と、小泉政権との相似についてのコメントをみかけたので、浜口雄幸井上準之助の話をえがいた、城山三郎の本を読んでみようとおもった。


史書ではなく小説だということもあって、浜口雄幸井上準之助は相当カッコよく描かれている。静と浜口、動の井上 が信念に従って共通する目標を実現するために進んでいくところは爽快。

ただ、それだけにあのタイミングでの金解禁に突き進んでいった「信念の人」というのは相当やっかいだと思う。なんせ、人の言うことを聞かないのが信念の人だ。


金本位制における金解禁が、財政にたがをはめる手段になるという認識はまだいい。だが、1割も割高の旧相場での解禁に突き進んでいったのだろう?そこが、よくわからない。井上は、なぜ金解禁にあたって通過の切り下げを行わなかったのだろうか。

城山は、当時の相場での金解禁には、法案の改正が必要で、それには与党民政党の賛成が得られないと判断したからだとさらっと書いている。そうだったかもしれないが、結果的には、旧相場での金解禁を行うために超デフレ政策をとり、末端では失業者が激増したわけ。ということは、金解禁という大事の前には、国民の痛みは小事であると判断していたわけだ。作品中にも、役人の俸給引き下げに対して、批判をあびる井上が大磯の別荘にこもることに、別荘にこもればいい大臣はいいが、俸給引き下げで家賃も払えなくなる我々はどうすればいいのかといった批判が紹介される。当時の役人というのは、そうはいいつつ高給だかというのは、あるがそれにしても、元々収入格差の大きかった時代。俸給引き下げの痛みは上と下ではまったく違っていただろう。結果から見れば、二人は、末端の国民の痛みに対する感性が鈍かったというしかない。



役人という大集団への俸給引き下げは、確実に需要の減退=不景気を呼ぶ。高給とりの役人の俸給引き下げをだまーみろとおもって浜口政権を支持した庶民は、それが回り回って自分たちの収入の減少に結びつくことにまったく気がついていなかった。


(男子のみの)普通選挙が始まったのが、1925年だから、これも国民の判断ミスが招いた結果という見方もできるんだよね。これ。
で、浜口が死に、井上が暗殺に倒れたのは、1932年。日華事変がおこるのはその5年後の1937年、そして、真珠湾攻撃で太平洋戦争が勃発するのは9年後。


ま、とはいえあくまで小説なので、他の本もいくつかあわせ読みしないと。(城山三郎の小説の主人公は、だいたい美化されているし)


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