森永卓郎と(ガイナックスを離れて以後の)岡田斗司夫って似ていると思う。社会学的な分析っぽいが、社会学のプロではない。そこが、宮台真司や東浩紀と違う。「萌え」を産み出すクリエーターとしてヲタクな業界に関わっているわけではない。そこが、大塚英志と違う。そして、どちらもヲタクであることを利用して、仕事を展開している。
つまり、彼らは「ヲタク」であることを主な価値として成立している評論家のように思えるのだ。
この本で、森永卓郎が説くのは「萌え」を需要する側は、善良なしかし恋愛における弱者だという認識だ。弱者はどこまでいっても弱者であるから、もう市場に期待しない。そして、キャラ(アイドルといった実在の人間も含めて)という別の市場に移動し、そこで恋愛する。実在の人間と違って、キャラを相手にした恋愛は、排他ではなく、複数のヲタクがそれぞれの恋愛を行うことができるだから、これが、森永卓郎の見立てだ。で、その境地に達することを「解脱」と彼は表現する。
この分析はおもしろいのだけど、2点問題があるように思う。
- この分析では、イケメンや女性のヲタクの存在を説明できない。
- 「萌え」市場のコアは、森永卓郎のいうところのヲタクだと思うが、コアをとりまくライトな需要が、分析から落ちている。
例えば、森永卓郎自身はどうなのか。彼がミニカーにかけるお金は、まさにヲタク的な消費行動であはある。そして、この本の「ヲタク」への視線からみれば、森永卓郎自身はは、「ヲタク」を彼にとっての準拠集団と考えているとしか思えない。
その彼自身が、この本の中でいう「解脱」した立場=分析の対象から外れているというのは、かなりネックだと思う。
それはそうとして、「萌え」という市場を理解させるために、ゾンバルドをもってくるのは面白いと思った。ここで、デリダやフッサールをもってきて、差違がどうのとやるのは、当たり前すぎるのだけ、ゾンバルドをもってきた本というのは私ははじめて。
- 作者: 森永卓郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/10/30
- メディア: 単行本
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ただ、この表紙はどうかなぁ。普通の人の「ヲタク」に対する誤解を解くのだと意気込むなら、この表紙は失敗でしょう。普通の人、引いちゃいますから。
# とかなんとかいいながら、この本を読んでの(自分的に)一番の収穫は、上海にはミニカーショップが結構できているという情報かもしれない。