論座 2006年1月号

harowanwan2005-12-13

朝日新聞の、評論誌「論座」の1月号
特集は、「30代の論客たち」。普段は立ち読みもあまりしないのだけど、執筆陣が結構好みだったので買ってみた。


現在の社会における相対的な「負け組」である若者層が、なぜ、彼らに有利な政策を示すわけではない小泉政権を支持するのかという問題提起は従来もよくあるが、渋谷の説は、ポピュリズムの最大の支持層は、既存の「中流以上」であるのではないか提示する。

現在の「勝ち組」、「負け組」の実体は、かならずしも'実力'や'成果'によるものではなく、それを知っている、「勝ち組」としては、自己肯定のできる状況にない。そこで、現状を肯定するための装置として、「勝ち組」「負け組」という言説を利用することによって、あたかも現状の不公平が、「公正な競争」の結果であると正当化されているのではないかとというのが渋谷の説。

この説明で思い起こされるのは、赤坂憲雄の異人論などにでてくる、集団の存在基盤を確立するために外部が必要になるという話との親和性だ。中流とて明日はどうなるかわからない中で、現状を肯定することが強く希求されているとみる見方には納得できる。
また、教科書問題と同時進行的におこなったフィールドワークをまとめた「癒しのナショナリズム」の内容とも一致するようには思う。

そうはいいつつ、この説の一番のネックは、はたしてポピュリズムのマジョリティの支持層は、はたして実際に「中流以上」なのかどうかの検証が必要な点 だと思う。



佐藤俊樹社会学と思想・批評系との距離が広がる「股裂き」に関する問題意識もさることながら、宮台の現状(の社会)に対する問題意識の強さが目立つ座談会の内容。

社会学ルーマンが注目されつつある現状を、「ハーバーマス的な「憲法パトリオティズム」の衰退」によるもだと説明する宮台自身は、それを良しとしてはいないのだろう。ところで、ルーマンよりハーバーマスに対する言及のほうをよくみるように思うのは私だけ?

その後も、宮台はマルクス疎外論と物象化論や、ヘーゲル左派、からブントまでひっぱりだすところはかなりつっぱしっている感が強い。弟子の鈴木謙介は宮台をおさえきれなくて、佐藤俊樹がファシリティトしている感のある座談会記録。