恋愛と贅沢と資本主義

ゾンバルトの「恋愛と贅沢と資本主義」読了。

最近、再評価されつつあるようにみえるゾンバルドだけど、この本の内容を自分なりに一言でまとめると、これは需要側から資本主義の誕生を説明しようとしたものだ。ということで、これは、供給側から資本主義の誕生を説明しようとしたマックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」と対称をなしているわけである。

純化すると

という流れだと理解できるのだけど、・・・はずしている?


ゾンバルトの説明はこうだ。


宮廷というところは、(他にやることもないしということで)恋愛が盛んになり、ついにはそれこそがすべてということになっていた。そこでは女性を獲得するためには、いかに奢侈を極めるかが重要という価値観が生まれた。宮廷では無駄に人を雇う、無駄に消費するという形の奢侈が一般化する。これにより奢侈に対する浪費という形で需要を形作られ、この需要に対応する形で産業が成立していく。

それが家内制手工業ではなく資本主義を形成するのは、なぜか。浪費がはげしい宮廷貴族たちは、気まぐれであり、かつおおよそ高価な材料を入手するための手付けを打ったりしない。だから、高価な材料と多数の職人を自分のリスクで雇い入れる資本蓄積をおこなった商人・職人が独占的な地位を得ていく。かつ、貴族たちはその浪費の結果としてしばしば破綻する。その破綻リスクを吸収できるだけの体力のある業者だけが残っていった結果として、資本家という形ができあがっていく。

彼は、この本でこう説明するわけ。どうだろう。

もちろん、需要に対応する供給側の資本蓄積がすすまなければ、需要があっても市場は成立しないから、ヴェーバーゾンバルトのどちかだけが正しいということではないのだけど、ヴェーバーには、需要側の説明が弱いというのも事実だ。



文章自体は、非常に読みやすい。ただし、20世紀の初頭を背景に説明される豊富な引用についていえば単位がかなり理解不能。元資料がメートル法以前の記録で、通貨がいまはない通貨単位なのだからイメージのしようがない。ただ、その圧倒的な引用は、それ自体結構な説得力を生み出しているようにも思う。


恋愛と贅沢と資本主義 (講談社学術文庫)

恋愛と贅沢と資本主義 (講談社学術文庫)

#この時代の奢侈って、ほとんどポトラッチの世界。
#あとで見直してみたら、ここに書いたのと同じような内容がamazonのレビューにありました。ま、誤読はしてなさそうだな。

#というところで、ゾンバルトからさかのぼると、ヴェブレンを読むべき?

ゾンバルトの本の中に、マンデビルがでてきて、微妙に懐かしい。マンデビルといえば、F先生の専門だったけ。