経済セミナー 2005/12

harowanwan2005-12-17

久しぶりに経済セミナー。特集は、「統計でわかること・わからないこと」

統計が公共財だという指摘は、結構目から鱗
個人の収入まで国がしらべてどうするという批判はわかるけど、その結果を分析した結果の効用には預かっているのだから、ヲレは回答しない、ってフリーライドはやめましょう。ごもっとも。
ただし、そのデータが適正に管理されているかの担保つきではあるけど。

  • 日本人は「いじわる」がお好き!? / 西条辰義

今回の経セミの一番の収穫はこの論文。



ゲーム理論の実験をおこなったところ、日本とアメリカでその結果が異なったのだという。行われた実験は、1つは、タカハトゲームで、もう一つはその応用編で、ゲームへの参加という選択をタカハトゲームに追加したもの。

結果どうなったかというと、タカハトゲームのデザインの中で、日本では自分の効用を最大化することより、相手との効用の差を最大化する行動が強く出たのだという。(スパイト行動)

そして、もう一つも興味深いのだけど、参加するかどうかを前段においたゲームでは、日本では、参加者は参加しなかった相手の効用を最小化する行動をとるのだそうだ。

この2つの行動は、同じ傾向を示している。個人の効用を最大化することや、全体を最大化するより、他社との効用の差を重視する。ひらたくいうと、他人が金持ちなのはいやだという傾向が強いわけ。ここから推測すると、日本人における効用とは、他者との格差によって得られる精神的な効用ではかるべきなんじゃないだろうか。


で、経済学的な話としては、公共財の形成において、日本とアメリカでは違ったメカニズムが働いているという可能性が指摘されている。

公共財をみんなで作ろうとすると、日本人は「ただ乗り」を目指すモノの成功しません。というのは、参加をした人が、参加をしなかった人の足を引っ張るかです。これを経験してしまうと、後で参加せざるをえなくなるのです。日本の社会ではみんなで仲良く協力してコトにあたっているのではなく、協力しないと後が怖い、というところでしょうか。


そんな考え方は捨てるべきだとかいうのは簡単ではあるけど、そうそう変わるとは思えないし、この条件を所与として戦略を考えないといけないんだろうな。
あるいは、海外とやりとりする時には、相手は別の基準で判断してくることを意識しておかないといけないということもあるだろうし。


ホフステッドの「多文化社会」の分析と、このゲームの結果をリンクした分析をしたらおもしろそうだと思うのだけど、そんな研究ないかしらん。
じゃあ、中国人はどうなのだろうか?とかいうのも気になるところ。