ゲーム的リアリズムの誕生
2001年の「動物化するポストモダン」の続編にあたる、東浩紀の評論。
ポストモダンの視点から、ライトノベルやゲームにおける、二重構造を解説するもの。
この本のなかでは、「物語とメタ物語」、「キャラクターとプレイヤー」の異なる視点から読み解けるように、重層的につくられている(あるいは、結果的に重層的な構造をもっている)、と解説される。
そこで要請されるのが、自然主義的な素朴な読解と異なり、物語と現実の間に環境の効果を挟み込んで作品を読解するような、いささか複雑な方法である。筆者はこの章では、それを「環境分析」的な読解と呼びたいと考えている。(P157)
ここで言われている、「環境分析」的な読解とは、いかのような読み方だ。以下は、桜坂洋の小説「All You Need Is Kill」に対してなされる解説。
私たちはここに「All You」を支える、SFの奇想とは質的に異なった想像力をみいだすことができる。筆者は前章で、ゲームのメタ物語的な性格を指摘していた。その整理を用いるならば、桜坂はここで、小説世界を物語の層とメタ物語の層に分割し、キリヤ以外の人物をすべて物語的なキャラクターとして描く中、キリヤだけを、ゲーム的な、すなわちメタ物語的なプレーヤーとして描いているという子とができる。そのような二層化をどうにゅうすることで、桜坂はここで、コンピュータ・ゲームでプレイヤーが経験する物語のかたち、「リセット」「リプレイ」を繰り返すことではじめて得られるメタ物語的な経験を小説のかたちに落としこもうと試みている。いいかえれば、コミュニケーション志向メディア特有の経験を、コンテンツ志向メディアのなかで描こうと試みている。
むろん、「All You」はタイムトラベルSFとしても読める。しかし、委譲のような特徴に注目すると、この小説に登場するSF的なガジェットは、むしろ二次的な層植物のように見えてくるはずだ。この小説の着想の中心は、メタ物語的な経験を物語として描くというアクロバットにある。そのアクロバットのために必要とされたのが、キャラクターでありながら、プレイヤーようにふるまう両義的な主人公であり、そしてその両義性にもっともらしさを加えるために必要とされたのが、タイムスリップというSF的な装置だったわけだ。(P167)
で、東は、そのこのあと、いくつかの美少女ゲームを題材に、物語のなかのキャラクターの視点と、プレイヤーの視点が重層的に物語の中に織り込まれている構造を解説していく。もし、この通りであれば、ライトノベルや美少女ゲームのシナリオライター(の一部)は恐ろしく複雑な思考を行っているように思える。もちろん、東が何度か指摘しているように、作者の意図とは関係なく、結果的にそのように見える、ということも考えられる。でも、これだけの数の作品が、並列的に同じ偶然に至るというのは、さすがにそっちの解釈のほうが無理ありすぎでしょう。とすれば、ある世代を境に、重層構造を無理なく感じ構築するリテラシーが涵養されている、と考えるのが自然かもしれない。そうならば、同じ作品が、ある世代を境に全く違う評価になるのも、自然といえば自然。
ただ、また話がもどってしまうのだけど、すべての読者が自覚的にそのような読み方をしているとは思えないし、どっちかというと、表層的に消費されているほうがおおいのではないかしらん。で、その表層的に消費される層を下地に、こういった実験的な手法の方が商業流通に載っていると考えると、これからの小説において必要なのは、表層で商業的な成功を確保したうえで、実験的な手法をひろげていく、という作戦なのかもしれない。(なんか、画像ファイルのなかに、暗号を埋め込むような話。)
ところで、、本題とは別に、この評論自体も、巧妙なことに「私たちは」という主語を多用することで、読者を評論の中にひっぱりこむという構造をもっている。意図的なテクニックでしょ、これは。
ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)
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All You Need Is Kill (スーパーダッシュ文庫)
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