テクノ・ナショナリズムの終焉

テクノ・ナショナリズムの終焉

帯に、「進化経済学からの警鐘」と銘うたれたこの本は、ブルッキングス協会によって進められた国民経済統合リサーチのレポートとして1995年に発行されたものの、日本語訳。この研究は以下のような前提に基づいて行われている。

  1. 世界は、近い将来に関する限りは、主権を持つ政府を備えた国民国家に組織され続けるであろう
  2. 国家間の経済統合が拡大することで、国民経済間の格差を浸食し、政府の自律性を浸食し続けるであろう

(P6)
この本は以下の4つのパートからなる。

  1. アメリカの覇権の衰退と国際競争の激化
  2. ナショナル・イノベーション・システム、産業政策、テクノ・ナショナリズムの台頭
  3. 1980年代のハイテク摩擦
  4. システム摩擦への対応ー統合深化とその他の手段

1章では、アメリカの経済の成功の理由衰退の理由が語られる。アメリカの企業の成功は、アメリカ合衆国という当時世界最大の統合市場を独占したことによる高い生産性にあると分析する。

別の表現をするなら、アメリカはすでに世界最大で最も豊かな共通市場になっていたのである。第一次世界対戦までには、その大きい人口と高い所得によるだけではなく、その高い生産性のゆえに、アメリカの国民総生産(GNP)はイギリスの二倍以上になっていた。第二次世界大戦後のプレトンウッズ協定とGATTに至るまで、当時のアメリカ経済界では、企業は自国市場へのアクセスを強く望み、アメリカには多くの貿易障壁が存在していた。アメリカ企業はおおむね国内市場をターゲットにしていたにもかかわらず、その多くは効率上の優位の結果として速やかに有力な輸出企業になった。(P23)

その状況は、貿易、投資の自由化とともに、技術移転が容易になったことで変わった。

戦後の早い時期には、アメリカ企業は他国に本拠を持つ企業が採用しないような方法を確かに知っていた。鉄鋼や自動車あるいはラジオの効率の良い生産者になるために知らなければならないことの一部分だけが、本で発表されたり工学系の大学院で教えられていた。どちらかと言うと、その大部分は経験を通して学ばなければならなかった。さらにアメリカ企業は、ヨーロッパや日本の企業と同じ市場で操業しないか、あるいは同じ技術を採用しなかった。現在では、状況は全く異なっている。第二次世界大戦以後、大部分の産業技術における科学的な基礎の理解に多くの進歩があった。そしてその知識は科学や後学の訓練プログラムで広く入手可能になり、出版物からも容易に入手可能になった。(P30)

2章では、第二次世界大戦以後に行われた政府の技術開発への資金提供について、主要な国について分析される。その結論は以下。

産業政策や技術政策の計画と調整を担当している中央政府の機関が各国で一律であることはない。どちらかと言うと、それぞれの国は、適切な防衛能力を確保するかどうか、原子力発電システムやテレコミュニケーションあるいは医療制度を構築するかどうか、また農業を支援するかどうかといった一般的な任務を遂行する政府機関の多様な集合を持つに過ぎないのである。別の見方を薄なら、多くの政府がハイテク産業に政策的支援を提供することについて、大きなレトリックを示しているにもかかわらず、実際、有効な政策はかなり分散的であり、特定の政府機関が関心を持つより大きな目標と結びついている。
「市場の失敗」に対処するために、あるいは戦略的貿易優位を得るために必要な政府の政策について、経済理論によって示された単純な筋学では、ここで説明した情報一部分だけしか把握できない。(P85)

3章ではエアバス助成金や日米貿易摩擦など、80年代の国家間の対立の構造を分析する。(書きかけ)

4章では、最初に「テクノ・グローバリズムに関する若干の含意」として、総括的に以下のようなことが述べられている。

国境は、技術を制限する障壁としては、いくつかの理由のために、現在では以前よりはるかに意味をなくしている。第一に、ハイテク製品貿易の急激な増大の結果、ハイテク製品を生産する企業を持たない国でもハイテク製品が入手可能になった。さらに、高いレベルの科学的、技術的な知識をもつ国では、ハイテク製品の入手やっ熟知によってハイテク製品やそれに具体化されている技術についてのかなりの理解が生まれるのである。したがって、このような製品が相手の手に渡らないようにしておくことしか、防衛手段はないのである。第二に、ビジネスそれ自体が、いくつかの産業では対外直接投資を通して、また別の産業では企業間連携のネットワークを通して、ますます多国籍的になってきている。第三に、部分的には今述べたことの結果として、また、部分的にはそれ自体の力で、科学や技術のコミュニティが多国籍的になってきた。アメリカ、日本、ヨーロッパで訓練を受け、その大部分が時刻で働いている科学者とエンジニアは、現在ではだいたい同じことを知っている。その領域に精通している専門家から、長期間にわたって隠しておくことのできる技術的な「秘密」は、今やほとんど存在しないのである。(P134)

この状況で、技術は一種の公共財と化し、その中で収益を最大化するためには、基礎研究から応用研究にシフトすることが企業における最適行動なる。そしてそれは結果的に、基礎研究のうむ技術進歩を減速させる危険性をもつと、このレポートは指摘している。

以上のように、多くの企業や国家が、競争の名の下に、明白で即時的な商業的利益を提供する技術に研究開発を集中している。これはスピルオーバーを最小限にして、利益を内部化することを目的とした戦略である。けれども、もしすべての企業や国がその戦略をとるとしたら、その結果として、広範な新しい技術的可能性が新しい理解によって発展する速度を低下させることになるかもしれない。(P177)


テクノ・ナショナリズムの終焉―テクノ・グローバリズムと国際経済統合の深化

テクノ・ナショナリズムの終焉―テクノ・グローバリズムと国際経済統合の深化



進化経済学は、制度を進化するものとして分析する経済学なので、この本も史観的。マルクス主義からレギュラシオン学派への流れが、生産手段に注目してに関して史観的に分析するのに対し、進化経済学は制度を主体として分析すると整理すればいいのかしらん?