思潮2006 保守派が”守るもの”とは / 読売新聞

某所で久しぶりに読売新聞を読む。
朝刊、12面の文化面に思潮2006 という論評があって興味を引く。タイトルは

保守派が"守るもの"とは - 思想的意味を問い直す (署名:時田英之)

最近の雑誌において、保守とはなにかという議論がなされているとの事実から、保守とは何か、保守はどうあるべきかという論。



最初に紹介されているのは、論座における山口二郎の文章。
論座 2006年5月号 「右派論壇の不毛を問う」
http://opendoors.asahi.com/data/detail/7313.shtml

ここでは、進歩主義保守主義

  • 人間が自らの力によって政治や世界を変えることができると考えるのが進歩主義
  • 人間の能力の限界をわきまえ、計画や統制によって世の中を変えることに会議的なのが保守思想

と定義しているそうだ。そして、その立場からブッシュのイラン対策はコミンテルンと同一だと批判する。(しかし、コミンテルンとは・・・久しぶりにみちゃいました。この単語。)



佐藤健志の正論 2006年5月号での記事
「保守という名のジレンマ」も同様とのこと。
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2006/0605/mokuji.html


岩見隆夫は 中央公論(2006年5月号)の「ホリエモン事件の先に見える政界再編」で、現在の自民党は保守と自由主義民主党は保守と自由主義社会主義 が混在している状況であり、再編されると分析しているとのこと。(これは、あまり目新しくないと思う)



でこれを踏まえて、これからの保守にとっては、「いかなる保守に価値があるかを見極め、保守すべきものを明確にすることは保守陣営にとって急務ではないか」と説くのだけど、微妙に違和感。



というのは、保守の対立項は、革新であって、そこには右と左という方向性はないのではないのじゃないだろうか。つまり、保守とは態度であってイデオロギーじゃないので、保守という態度でくくり出しをしても、そこに共通な「守るべきもの」を探すのはナンセンスだと思う。


と、ここまで書いてきて気が付きました。
この記事は保守の立場の話なんかしていないということ。
だって、そうでしょ。自民党の中でおこっているのは、「自由」と「民主」の対立なんですから。


*1

*1:各雑誌の元記事にあたってはいないので、ひょっとしたら引用ミスがあるかもしれませんので、あったらご指摘下さい。