週刊ミヤダイ 10/20放送

PodCast で流れている、 宮台真司の「週刊ミヤダイ」をきく。

ネタは、教師の資質の問題。「教師の質は低下してきているのか」という問題設定にたいし、宮台真司の回答をまとめていうと、「教師の質(自体)は低下していない。しかし、社会が教師に求めるものは変わってきており、現在の教師(集団)はそれにはあっていない」というもの。


宮台真司のいう、「現在の社会が教師に求めるもの」は何かというと、曰く、「生きる力」なのだそうだ。

じゃあその「生きる力とはなにか」というと、人を動員する力、動機づける力だという。その「生きる力」を身につけるための手段が、「ゆとり教育」であり、「ゆとり教育」を実施する前提として、(若干の)学力の低下には目をつむることになっていたいう。ところが、実際には「生きる力」の養成には失敗し、成績低下だけがのこったというのが宮台真司の現状認識で、その理由は「教師の質」にある。よって、現在の教師の質は社会の要請にあっていない、というのが話の筋。

教育の主たる目的は、子供の社会化であって、それがうまくできていないから、コミュニケーションスキルが低い。よって、人を動機付け、動員することができな、という話の流れから考えると、宮台真司のいう「生きる力」とは、普通の言葉でいえば、ネゴシエーションスキルっていうこことであるよう。

ネゴシエーションスキルが低下していて、その涵養が必要という認識自体は、それなりに、妥当な問題意識だとはおもうのだけど、それと「ゆとり教育」が結び付くと、なにやらうさんくさいと思うのだけどどうでしょう?


とりあえず、どうかなーと思ってしまうのは

  • 宮台先生、ネゴシエーションスキルが大事だというわりには、教師集団に対して、きちんとコミュニケーションできなかった責任は誰の問題なのかの認識なし。
  • 1985年の臨教審答申の中で、「生きる力」をそんな風に定義していたっけ? (下記参照)

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo1/gijiroku/001/010401c.htm


ということで、私には、宮台先生のお話はかなりご都合主義的な説明に思えるんですけど。
お時間のあるむきは、以下で聞けます。(10/20放送分)


http://www.tbsradio.jp/miyadai/popup.html