日中2000年の不理解

最初、ありきたりの日中文化論かと思って読み出したら、けっこう深い。そして、縦横無尽に繰り出される中国語文献からの引用は興味深い。

この本のキーメッセージはなにかといえば、中国は儒教文化の国であり、中国の発言はそのフレームワークに従って理解すれば理解可能だという点だろう。逆に日本は儒教文化では(実は)ないので、そのフレームが理解できない。それは、韓国ドラマの「チャングムの誓い」の解釈における説明に具体的。

宮廷女官であったチャングムは陰謀で奴婢にされた上に、離島の済州島島流しされた。宮廷に戻る再起の道が医女になることであると知ると、人並み異常の精進を積む。天分もあり、冬眠に認められる医術の基礎を身につけたとき、和冦の一団が襲来した。和冦の首領が急病にかかり、治療を受けさせるのが目的だった。和冦はチャングムが医女見習いと分かったとき、治療を拒むチャングムに対し、目前に縛った島民を引き立てて、「拒むなら、一人ずつ島民の命を奪う」と脅した。そこでやむなく、未熟な腕でありながら懸命に治療した。聞きを脱したとき、役所が処分を下した。憎むべき和冦の首領を治療した行為は許されないというもの。チャングムは逮捕されたのである。
日本人の目には、あまりにも無慈悲な権力者の都合と映ったに違いない。ところが、中国人の私には大儀を重視する儒教の教えの筋書きだと分かる。儒教的生き方では、いかなる脅迫に差レされても的に協力することを不義とする。例外を認めようとしない。島民を救うために苦渋の決断をしたチャングムの窮境を考慮せず、首領を治療した行為だけを見る。日本人には不条理であっても、儒教に基づくと条理になる。(P135-136)

このルールに例外はないし、時効もない。だから、100年前どころか、1000年前であろうと、死者であろうと鞭打つことが当然というのが儒教だというのである。そして、死は禊ぎではなく、敗北である。

罪を責められて自殺する人が日本では良くあるという。死によって清めを得られる得意な文化であると思う。中国人は自殺をすれば罪をみとめたか、罪にされた不義と戦う勇気がなくなったともみられるので、犯罪者の自殺は非常に少ない。(P191)

それを前提にするならば、南京事件のような話にはヒステリックに反発すべきであって、日本人の考える「大人の態度」を取るのは後ろめたいところがあると取られる可能性が高い。
そして、中国が儒教的価値を背景とした、絶対的正義を信奉しているのだとすれば、中国との歴史観の共有をめざすことはナンセンスということになる。中国は無謬なのだから、日本の妥協以外歴史観の共有はありえないわけだから。


と、考えるとそんな文化を背景にしながら、周恩来が日本の賠償放棄を認めたという事実は、驚くべき譲歩だったのだろう。(その周恩来が中国では人気がないというのは、当然なのかもしれない。)


そして、本の中で何度か取り上げられる、周作人という人がどういう人だったのか、興味を引くところ。