自殺はなぜいけないか・・とか

19日のエントリーで、「ゲーム的リアリズムの誕生」のことを書いたのだけど、某所でゲームと現実に関して興味深い話をきいたので、ちょっとメモ。

子供の自殺というは、時々あるのだけど、それに対して、学校ではどうおしえているのか、という話。

そこで聞いた話では、学校で

「死んでしまったからおしまい。そこから先はないのだから自殺は無意味だ」

という指導をしているのだそうだ。で、そこから先がポイントなのだけど、この話の延長線上に、実際に自殺者がでてしまったら

「死んでしまった人のことを考えても仕方がない。そのことは忘れて日々勉強しましょう」

という指導が整合的になる。もし、これが一般的な指導方針なのだとすれば、そこで起こっているのは、バトルロワイヤルそのものの事態だ。これは

自殺者のことを考えても仕方がない->誰も責任はない->自殺者に原因がある

という、徹底的な第三者的な視点だから。
で、この話をしてくれた某氏は、「ライトノベルやゲームにおいて、早い段階で退場していくキャラは重要でない。自殺する人は重要でないキャラだから気にしなくていい」という考え方が実はあるのではないか?と感じたそうだ。30代以下の教員だったらゲーマー比率は高いだろうか、その影響がないとはいいきれない。(そこまで単純化していいかというのも、ひっかかるのではあるけど)


この話は、ある一人の先生が語った話の、さらに伝聞であるので、どれくらい一般的なのかもよくわからない。ただ、福岡・中2いじめ自殺事件などでの、学校側の対応は、この考え方と整合的にみえる。