ミミズクと夜の王

東浩紀の評論を読んだいきおいで、ライトノベル*1の新作を読んでみる。
ミミズクと夜の王」は電撃小説大賞の受賞作。



ストーリーの構造を思いきり単純化していうと、これは王道的なシンデレラストーリーだ。


虐げられた少女は、森の王に見いだされて、幸せになりました。
おしまい。


なので、この小説の価値はそこではなくて、他の場所にある。

舞台は、中世と思しき時代背景の王国。奴隷の身分から森に逃れる少女ミミズクの物語だ。ミミズクは、悪意のなさで森の魔物に受け入れられる。一方、人の世界では、ダンテス王が、森の魔物を退治することで、国をもり立てようとする。森の魔物と、ダンテス王の聖騎士アン・デューク、その妻オリエッタの「ミミズク」に対する好意が交錯しつつ、エンディングにむけて、いろいろな複線が明らかになっていく、というのがこのストーリーだ。


ミミズクと夜の王」というタイトル(と、暗い森の表紙絵)を与えられた上で始るストーリーは、「ミミズク」という主人公の描写から始る。やがて、この「ミミズク」が、人間の少女だということがわかってくるのだけど、少女の出自は、結構途中まで明らかにされない。同様に、森の異形の魔物である「クロ」や、森の王「フクロウ」についても同様。その情報に対する期待感で、ぐいぐいひっぱっていた上で、感情移入させた主人公に対する「承認」を繰り返すことで、泣かせるうまさがこの小説の魅力だと思う。


大人が読むと、甘口過ぎるっていう気もするけど、それはそれでいいのかもしれない。大人は主人公じゃなくて、森の王を捕まえて、その魔力をつかって四肢の不自由な王子、クローディアスの四肢をとりもどそうとするダンテス王のほうに感情移入すればいいのだから。


実は、この本を読んで考えたのは、読者はいったい誰に感情移入するのだろう?ということだ。おそらく、女の子は、主人公の「ミミズク」に感情移入して読むだろう。それはいい。では、男の子は、と考えると、おそらく高校生くらいまでの男の子ならば、主人公ミミズクと友だちになり、そして別れを経験することになる、四肢の不自由な王子、クローディアスなんだろう。

クローディアスに感情移入していれば、このストーリーで感じるのは挫折のはずだ。そして、最後に父であるダンテス王からの承認。

と、まあそんな風に読んでは見たのだけど、ライトのベルの主たる読者はどう読んだのかな。そこはちょっと知りたいところ。

ミミズクと夜の王 (電撃文庫)

ミミズクと夜の王 (電撃文庫)

*1:贈呈式で、本人が「知人には『ライトノベルっぽくない』と言われます」といっている位なので、この本をライトノベルとして読むこと自体がずれているのかも。