行動経済学 経済は「感情」で動いている

行動経済学、なんとか読了。
これ、中身は新書じゃありません。ほとんど教科書です。
と、思いながら、読み返してみたら、はじめに にこう書いてありました。

本書は、行動経済学の入門書であると同時に、経済行動の背後にある心理的・社会的・生物学的基盤を探り、行動経済学の基礎をかためることを目指す。(P5)

ね、教科書でしょ。




この本は、標準的経済学が想定する「経済人」という概念と、実際に人間行動との差異説明していくもの。

具体的な中身としては、ヒューリスティクスプロスペクト理論の2つの固まりに分かれている。(これは、Daniel Kahneman の2つの著作、「Heuristics and Biases: The Psychology of Intuitive Judgement 」と「Choices, Values and Frames」対応している?)



ヒューリスティクスについては、以下のように説明されている。

ヒューリスティクスは、問題を解決したり、不確実な事柄に対して判断を下す必要があるけれども、そのための明確な手掛かりがない場合に用いる便宜的あるいは発見的な方法のことであり、日本語では方略、簡便法、発見方、目の子算、あるいは近道などと言われる。(中略)ヒューリスティクスに対比されるのがアルゴリズムであり、手順を踏めば厳密な買いが得られる方法のことである。たとえば三角形の面積をもとめる公式がアルゴリズムの好例であり、(底辺X高さ)÷2という公式に当てはめれば三角形の面積は必ず求めることができる。
急がば回れ」とか、「兎に角やってみよう」といったことわざや格言の類はヒューリスティクスであり、日常生活で役立つ一面の真理を捉えている。
ヒューリスティクスを用いる方法は、多くの場合にはある程度満足のいく、場合によっては完全な答えが素早くかつたいした労力もなしに得られるという点でサイモンの「満足化」原理と同様の考え方である。しかし、ヒューリスティクスは完全な解法ではないだけに、時にはどんでもない間違いを生み出す原因ともなってしまう。(P66-67)

また、プロスペクト理論については以下のように説明される。

プロスペクト理論は、期待効用理論の代替理論として考案されたものであり、標準的経済学の効用関数に対応する「価値関数」と確率の重み付けに関する「確率過重関数」によって構成されている。期待効用理論とは異なり、価値はある基準からの利得と損失で計られる。また、確率は思い付けがされており、われわれは、確率が1/3という自称をそのまま1/3とは受け取らないという心理的性質が表現されている。(P112)

この本の中では、感情が、ヒューリスティクスの一つのして説明される。ヒューリスティクスは、正しくない(=経済合理的でない)選択をおこなってしまう原因ともなるのであるが、逆に「感情」というヒューリスティクスがあるがゆえに、(合理的に判断していくより)不十分な情報の中でより早く選択を行っていくことが可能であると、むしろ評価している。

ところで、この本の中で興味をひいいたポイントが2つ。
一つは、公共財ゲームにおいて罰則の導入が有効であるという説明に続く以下の部分。

公共財ゲームで、処罰の導入が協力を増加させたのは、純粋な利益追求が動機である。つまり、利得が変わることで協力が引き出せた。園は以後にあるのはやはり強い互酬性である。
協力には協力を、裏切りには処罰を返すことで協力を引き出すことができる。また、信頼ゲームで処罰がかえって協力を減少させたのも、同様に互酬性による。処罰が可能であるのに発動しないのは、善意の行動であり、それには善意をもって返すし、処罰をするぞと言う脅かしは悪意と受け取られるから、悪意で返すのである。(P306)

社会規範として認識されているルールに罰則を導入すると、結果として、それが市場取引として認識されてしまい、社会規範としての機能が低下するというのが個々での指摘である。

もう一つは最終提案実験ゲームにおける、以下の考察。

最終提案ゲーム実験における提案者と応答者の行動はどのような動機によるものだろうか。提案者の行動の動機の一つは、公正に対する選好である。およそ半々という提案が厚生の考え方に合致するので、公正さを求めて行動するということである。(中略)一方、応答者の行動はどうだろうか。応答者は不公正と思われる低い提案を拒否する。この行動は、不公正な提案者をコストをかけて処罰することと捉えることができる。
応答者のこの態度は経済的な私益追求とは考えられないが、他に利益を得るものがいないから利他的処罰とも言えない。しかし、提案者の不公正な提案に対する怒り、あるいは提案者のみが多額の利得を手に入れることに対する嫉妬と言った感情を考慮に入れれば、合理的な行動だと言うことができる。(P308-309)

この部分を「日本人はいじわるがお好き!?」のスパイト行動にあてはめて考えると、同じゲーム状況を与えられた場合に、日本人とアメリカ人では参照点が異なる、と考えると整合的。つまり、日本人とアメリカ人の考える「公正」はそもそもかなり違うだろうということだ。

確かに、あの人たちの行動基準は日本人の理解を超えている部分があると感じるシーンは多いのだけど、それは「公正」というフレームにおける参照点の違いだと考えればいいのかもしれない。

行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)

行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)