進化しすぎた脳

某サイトで絶賛されていたので、池谷裕二を読んでみる。

この本は、池谷裕二が、(アメリカ在住の)高校生相手に語った、大脳生理学の最前線の話をまとめたもの。心と脳の関係について、(当時の)最新のトピックが語られている。池谷の生物としての人間にとっての、心の必要について、以下のように説明する。

意識とか心というのは、多くの場合、言葉によって生まれている。意識や心は言語が作り上げた幽霊、つまり抽象だ。こう考えると、一つの結論にたどり着く。そう、意識とか心は、<汎化>の手助けをしているんだよ。わかるかな。
つまり、「言葉ー>心ー>汎化」だ。人に心がある<理由>はきっと言葉があるからだけど、人に心がある<目的>は、汎化するためなんだろうね。汎化いかに重要なファクターかは、すでに話した通り。その議論を拡張すれば、人にとって<心>もまだ重要なファクターになるわけだ。
人間以外の動物にどこまで心があるかはわからない。もしかしたら、いわゆる<心>と呼ぶにふさわしいものがないという可能性だってある。でも、だからといって、<心>が生命に不要なものかというと、そんなことはない。<心>は、人間の生活の飾りなんかじゃない。人間には<心>を活用して抽象的な思考をして、そしえ周囲の環境から基底ルールを中止ぃ津して、それを未来に向けて蓄えて、応用して、環境に適用しているんだ。(P214-215)


タイトルの「進化しすぎた脳」とは、人間の感覚器官の採り入れられる情報にたいして、脳は過剰に進化しているという指摘。脳の可能性は、もっとあるにもかかわらず、「人間」という乗り物にのっているために、脳の可能性が制限されているという。

だとしたら、マモーのような存在はありえないもので、むしろ、恒星間宇宙船に、人間の脳を組み込んだときのほうに、可能性があるかもしれない。


ところで、神経繊維の話のなかで、チャンネルとかスパイクとかでてくると、頭のなかを「チャンチャンチャンネル、開いて閉じて」っていう、「チャンネル音頭」ががぐるぐるしちゃうんですけど。うーむ。


進化しすぎた脳 中高生と語る「大脳生理学」の最前線

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