不況のメカニズム

さすがに、評判になった本でおもしろい。
この本では、ケインズの考えとされるものを一部否定することによって、新古典派の思想をケインズの大系の中に取り込んで説明している。

否定されたケインズの考えは、所得に応じて消費が決まるとする消費関数であり、乗数効果であり、ケインズの(考えとされてきた)所得の再配分を行うべき理由としての政治経済学的側面。

この本の中ではケインズの理論を整理して、投資は期待収益率に依存し、貯蓄は所得に依存するので両者は一致しないとしている。そして、貯蓄は流動性選好という貨幣それ自体への欲求によっておこっており、これが需要不足を引き起こすのだとしている。

新古典派の世界が、貯蓄と投資の一致を前提とするのであれば、そこでは「セーの法則」が生きているということになる。

新古典派経済学では、金融資産をためるという行為は、将来の特定の時点で特定の良の消費を行うという行為に直結していると考える。そのとき、今の消費を減らして貯蓄に回された分は、利子分も含めてそのまま将来時点での消費の増大となり、ちょうどその分の投資を行うに足る将来集積が保証される。そのため、貯蓄と一致する量の投資が必ず生まれ、需要不足は発生しない。すなわち、使うことを目的とせずにためることだけを考えた貯蓄を想定しない限り、新古典派理論の整合性を維持しながら需要不足を論証することは、できないのである。
それでは、使うことを目的としない貯蓄などあるのか。確かにある。貨幣を貯めるという行為がそれである。(P59)

この解釈の元、需要不足による不況を著者は以下のように解説する。

総需要が不足し物価が下落し続ければ、貨幣の実質量が徐々に拡大して、流動性プレミアムを低下させる。しかし、その低下の程度は絶望的なほどに緩慢であり、流動性プレミアムは高水準を保ち続ける。(流動性の罠)おまけに、物価が下落し続けるというデフレ現象それ自体は貨幣の価値を上げていくから実物資本や財への投資よりも貨幣を保有することを有利にする。そのため、デフレが続く限り需要不足が持続して、雇用を圧縮し続ける。
結局、ケインズの定義する貨幣とは、それがもつ流動性プレミアムが常に持ち越し費用を超え、それを作る際に労働を必要としない資産である。このような特性を持つ資産が存在しなければ、購買力が雇用を生まない一つの資産に集中すると言うことはないから、需要不足は発生しない。また、これこそが新古典派の考えている世界である。(P118)

そして、そこから著者は現在の不況の回復には、バブル崩壊によって投資や消費に保守的な、流動性選好の高い世代が入れ替わる事が必要だろうと指摘する。バブルによる不況、公共のサイクルには35年程度の時間が必要だというのである。


この本の一番いいたいことは、おそらく、平等性ではなく、純粋に効率性の観点からケインズの考え方を理解することが可能であり、新古典派を格差論で批判することも、その点から的外れである、ということではないかと思う。