ヒトラーの経済政策

題名にあるとおり、ナチスドイツの経済政策がどういうものだったかという紹介。
非常に興味深い本。


内容的には、前半と後半に分かれている。
前半では、ナチスの社会経済政策が、今から見ても先進的だったかという話。
後半では、シャハトによる財政金融政策が、天才的だったかという話。


小泉政権の時代以降、ポピュリズム批判からナチスについての言及は多くなっていると思うのだけど、なぜあの時代のドイツにナチスが登場するのか、というのは自分の中では正直おちついていない部分があった。宣伝がうまかったのは事実だろうし、国民に不満がたまっていたのも事実だとはおもうのだけど、その結論がナチスである必要性がどこにあったかという点がだ。

で、ナチスが支持された理由の大きな部分は、その労働者政党という立ち位置にあったのだろう。
以下は、1920年の党綱領の中身の解説。ちなみに、ナチスが第一党になるのは、この10年以上後の話、ヒトラーが首相になるのは、1933年である。

 これらの党綱領を眺めてみると、ナチスのテーマは「弱者救済」と「ナショナリズム」だったことがわかる。虐げられた国、貧困にあえぐ国では、決まって生じてくる思想でもある。これにドイツ人の合理性が加わることで、「ナチスの思想」ができあがったといえるだろう。
 そしてこの党綱領の中には、当時のドイツ人がなにに憤慨し、なにを求めていたのが表現されているといえる。
 1条から10条まではナショナリズムが溢れたものとなっている。
 当時のドイツはバイエルンの独立問題をも抱えており、国家分裂の危機に陥っていた。そこで、第1条では、ドイツの団結を謳っているわけである。
 そして、第2条では、ベルサイユ条約の破棄がある。これがやはり当時のドイツ人にとって、もっとも切望されたものだったのだろう。
 また当時のドイツには、ユダヤ人をはじめ多くの外国人が入ってきていた。そのため、彼らを公職から締め出し、まずドイツ人の生活を優先させる、ということが織り込まれている。ただ、まだこの党綱領の段階では『ユダヤ人の迫害」までは言及されていない。ユダヤ人迫害は、はじめから計画されていたわけではなく、政策運営の途中から出てきた項目だと言える。
 11条から14条までは、投資家や大企業の横暴を懲らしめる内容になっている。当時、大勢のドイツ国民が不況や失業で悩まされていたにもかかわらず、投資家や大企業の中には戦争で大儲けしたもの、不況を期に他の企業を買収し巨大化したもの、などがあったのである。
 15条以降は、社会改革の具体的な事柄が述べられている。
 注目されるのは、15条の老人年金や21条の母子、少年の保護などに見られるように、ナチスはこのときからすでに福祉や厚生について並々ならぬ関心を抱いていたということである。
 ナチスの結党の動機は、他国を侵攻しようとか、ユダヤ人を迫害しようというようなものではなく、国民の生活、複利増進を第一に考えていたということである。(P158)

ナチスの正式党名が、「国家社会主義ドイツ労働者党」というのが、しごくまっとうなものに思える党綱領だ。そして、1933年に全権委任法を成立させてからも、ナチスはこの党綱領にそって政権を運営していくわけである。

1933年の政権獲得後の経済政策は一言で言えば、積極政策だ。アウトバーンに代表される公共工事を拡大し、その一方で中小企業や農民への資金供給や借金の停止といったことをやっていくわけである。ところがドイツ政府には資金がないわけで、これを国債を発行して調達し、その国債ができるだけ長期に保有されるように制度設計を行っていく、というのが基本的な政策だ。
この政策が当時として革新的なのは、当時がまだまだ金本位制の時代だったからだ。シャハトはドイツの労働力を担保として労働債を発行するのだけど、これはそれ以前にシャハトが実施した
レンテンマルクと基本的に同じで実態はない。退蔵されている資金をこの国債をつかって回収して、それを政府がばらまく、ことで需要不足と資金不足を同時に解消し、そして中期的には社会補償対象者をへらしていくという、政策。

要するに中低所得者層に雇用を与える、ということであって、それは、ナチスの綱領と整合的だし、中低所得者というのは通常高所得者より人数が多いから選挙において大勢を占める。ということで、ナチスの支持はより高まっていくわけである。


ただし、これが機能したのは、シャハトの才能と、そしてそのナチスがほぼ全権を握って経済政策を実施できた、という環境の両方がそろったからだろう。
そのシャハトが政権中心部からはずれていくことで、この政策の弱点が表面化してくる。これは基本的には国債の信用に基づいているわけで、国債の発行量が限度をこえると、インフレになる。インフレにならないためには、国債の発行量を抑えるか、さらに国債を消化させる必要がでてくる。

ところがドイツはこの時期、軍備拡張に資金を必要としていた。なので、


ナチスの経済政策は、前期にシャハト、間にゲーリングを挟んで後期にシュペーアという才人が行っていて、ベルサイユ条約大恐慌でぼろぼろになっているドイツの財政をシャハトが立て直すところがこの本の主菜だし、非常に興味深い。ただ、そのベースになっている政策方針自体は、もともとナチスがもっていたものだというのはやっぱり重要だと思う。


ところで、少しずれるのだけどアメリカの参戦についておもしろい指摘があった。以下の部分。

 アメリカはイギリスから再三再四、ヨーロッパ戦線への参戦を求められていたが、アメリカは首を縦に振らなかった。ドイツにそれほど恨みがあるわけではないし、といつに投資をしている企業、投資家もたくさんいる。たとえばドイツに子会社を持っているフォードやGMなどは、ドイツが戦争を始めても、以前と全く変わらずドイツ子会社を営業させ続けていた。アメリカにとって、ドイツと戦わなければいけない理由が見あたらないのである。(中略)
 1940年の中盤になにが起きたかというと、序章で述べたように7月にドイツが欧州新経済秩序というものを発表しているのだ。
 欧州新経済秩序は、ドイツの占領地域ではマルクを通貨とし、マルク通貨圏内では資本、労働力、商品の往来を自由にするという、いまでいうユーロのような計画だった。
 この欧州新経済秩序は、金本位制を離れた金融制度、今の管理通貨制度のような金融システムを取ることになっていた。
 実はこの欧州新経済秩序は、アメリカにとてこの上もなく目障りなものだったのである。世界の金の7割を持っていたアメリカは、だからこそ世界一の繁栄を謳歌できていたのである。もし欧州新経済秩序がグローバルスタンダードにない、どこの国も金本位制に従わない宇要になると、アメリカの金は持ち腐れになってしまう。
 またドイツのマルクが欧州全体で使われるようになると、ドイツの工業製品がヨーロッパ市場を独占することは目に見えている。当時、世界一の工業国はアメリカだったが、ドイツが猛進していた。ドイツがその地理的優位を生かしてヨーロッパ市場を独占すれば、アメリカの工業製品廃棄場を失い、産業界は大きなダメージを被るはずである。
 つまり、ドイツが欧州新経済秩序を発表したころには、アメリカにとって第二次世界大戦は「対岸の火事」ではなくなっていたわけである。(P245)

そして、さらに横にそれた話なのだけど、ユダヤ人排斥に関しても興味深い指摘。

 そしてヒトラーは政権を取ると、「ユダヤ人迫害政策」を打ち出した。
 まずは公職からユダヤ人を追放し、やがて経済活動からも締め出し、最後には国外追放にかかった。
 しかし、ここでヒトラーは大きな誤算をする。
 ユダヤ人を追放しようとしても、ユダヤ人を受け入れてくれる国がなかったのである。
 世界各国は、ナチスユダヤ人迫害政策を非難はしたが、だからといってユダヤ人に手をさしのべるわけでもなかったのだ。世界恐慌でたくさんの失業者を抱えていた欧米諸国はユダヤ人移住の制限を行っており、いう恥部の国ではユダヤ流入に対する激しいデモも起こっていたほどだ。
 1938年7月にはフランスで、ドイツのユダヤ人に関する救済の国際会議が開かれた。ドイツのユダヤ人は、ドイツを離れようにも、受け入れ国がなかなかみつからなかったからだ。
 そこでアメリカが音頭を取って、32カ国の代表を集めて、この問題の解決策を講じようとしたのだ。
 しかしこの会議は失敗に終わった。
 ナチスが移住先の国から一人あたり250ドルの支払いを求めるなど厳しい条件をつけていたこともあるが、各国ともこれ以上移民を受け入れることには慎重だったのだ。
 また経済相のシャハトは、ユダヤ人がドイツ国内で暴動などのターゲットになっているのを見かねてヒトラーにある提案をした。
ドイツとオーストリアにあるユダヤ人の財産を担保にして、年利5%の再建を発行し、世界中のユダヤ人に買ってもらう。その代金で、ドイツやオーストリアユダヤ人の国外移住比を捻出するというものだ。
 「ユダヤ人の安全を保証できないなら、国外への移住する権利を与えるべき」というのだ。
 そしてこの債券の利子の一部は、ドイツの貿易振興に充てられる、という一項もちゃっかり付け加えられた。
 ヒトラーはこの提案を承認した。
 しかしこの計画も実現しなかった。
 この債券を購入してしまえば、ユダヤ移民を受け入れざるを得なくなるということで、欧米諸国が乗り気にならなかったのである。
 ナチスユダヤ人の扱いを決めかねているうちに、オーストリアチェコスロバキアポーランドなどを侵攻し、支配下に収めることになった。
 つまりヒトラーユダヤ人を追い出そうとしているのに、行く先々でたいりょうのユダヤ人を抱え込む羽目になってしまったのだ。(P214-216)

これを読んでいる限り、ナチスユダヤ人嫌いというよりは、人気取りに外国人排斥をにのってしまって、身動きとれなくなってしまったように思えるのだけど。


ということで、トータルでナチスの経済政策を検証していくと、悪くない。
悪くないどころか、かなりいい。


資金不足の為の調達が国債発行でまかなわれているので、経済発展が進まなければドーマー条件にひっかかってしまって経済が破綻するリスクをシャハトは理解していただろうし、その条件の中で、彼がやったことはすごい。

シャハトが政権の中枢に居続ければ、ソフトランディングが可能だったかもしれい、とも思うが実際には難しかっただろう。

侵攻の理由は金の不足だけではなく、第一次大戦で失われた国土の回復という精神的な部分と、自立経済の確立のための資源確保という複合要因だし、ユダヤ人排斥の背景にあるのは経済不振のなかでの、外国人排斥という背景だ。


お互いに絡み合っている問題を財政金融政策だけで解けたとはおもえない。
そういう点では、領土と財政の面でのベルサイユ条約の中の過大な条件が、第二次大戦やユダヤ人排斥を引き起こすタネとして仕込まれていたと考えてもそれほどおかしくない気がする。

ヒトラーの経済政策-世界恐慌からの奇跡的な復興 (祥伝社新書151)

ヒトラーの経済政策-世界恐慌からの奇跡的な復興 (祥伝社新書151)