いつでもクビ切り社会

経済学の本だと思ったら、法学の本だった。
でもって、雇用賃金制度の本だと思ったら、人権に関する問題提起だった。

というわけで、この本の趣旨は、今後はエイジフリーは不可避であって、その結果として解雇が広く行われるようになってくる、という問題提示。

まず、エイジフリー化が不可避である理由が以下。

 第一の理由は、やはり一言で言ってしまえば、少子・高齢化の進展である。寿命が延びて高齢者が増えるんだから、年齢にこだわらない社会がいいよ、ということだ。世界でも他に類を見ないスピードで、超少子・高齢社会に向けて突き進む日本。子供が減り、年寄りが増える。ある著名な経済学者がよく使う比喩を拝借するなら、「渋谷センター街で石を投げれば高齢者に当たる時代」がくるのだ。(略)
 理由の第二は、国際的なトレンドだ。アメリカやヨーロッパでは、年齢に基づく差別を禁止するなど、エイジフリーの考えに基づく法律がすでに施行されている。日本は伝統的に「外国ではこうだ」といわれると弱い国だ。エイジフリーに関しても、アメリカでもヨーロッパでもエイジフリーですよ、だから日本もそうしないと、という流れで話が進んでいくわけだ。
 第三の理由は、社会における人権意識の高まりである。年齢にこだわり、年齢を基準とする社会の制度や仕組みは、年齢に基づく「差別」だ、という意識が、高齢者の多い社会になれbあなるほいど高まっていくだろう。(P21)

で、エイジフリー化によって、採用での年齢制限や定年制がなくなった場合なにがおこるかというと、以下。

 では、雇用における年齢差別禁止法を制定し、定年制を違法としたらなにが起こるのか。定年制がなくなれば、労働者が一定年齢到達だけを理由に退職を強要されることはなくなる。しかしその代わり、企業は解雇、あるいは実質的には解雇の意味を持つ退職勧奨という手段にこれまで以上に訴えざるを得なくなるだろう―報酬に見合う働きを思tれくれない労働者を永遠に雇うこともできないからだ。(中略)
 そして、定年のないエイジフリーの世界では、解雇権濫用法理の中身も変わらざるを得ない。アメリカにおいて随意的子yほうげんそくと年齢差別禁止法による定年制の禁止がいわばセットで存在しているように、日本でも定年制が禁止されればその分能力不足や業績低下を理由とする解雇が認められやすくならざるを得ないだろう。そうしなければ、会社への貢献度がさがってきた高齢労働者に書kばから「お引き取り」いただくすべがなくなってしまう。解雇もできない、でも定年制も実施できない、では企業はとてもやっていけない。(P124-125)

で、それに対応する行動指針としては、

エイジフリーが本当に望ましい方向なのかどうか、立法的な措置を講じてそれを後押しすべきなのかどうかは今後十分に議論する必要がある。しかしとにかく、時代の流れは確実にエイジフリーに向かっているし、今後も向かっていくのは確かであろう。従って企業も労働者も、来るべきエイジフリー社会のために物理的にも精神的にも準備をしておいたほうがよい、というのが本章の結論である。
 ではその準備の方法は?「いつでもクビ切り社会」なのだから、企業としては場合によっては従業員のクビを切る、という覚悟をすることが必要だ。そして労働者側としては、クビの対象にならないようにがんばって働き、会社にとって欠かせない人材になること、結局はそれに尽きる。エイジフリー社会であっても、会社はきちんと働いてくれる社員―それはある程度会社の主観に基づく判断にならざるを得ないが―までむやみにクビにはしたりはしないはずだ。
(P209-210)

というもの。

ただし、この指針を鵜呑みにするのはどうかと思う。本の趣旨とは外れるからあえて描かなかったのだろうけど、エイジフリーになって労働している期間が長くなってくれば、働いているうちに会社の方が亡くなってしまう、ということは多くなるはずだ。そうなったとき、「きちんと働いてくれる」社員だったかどうかはあんまり関係ない。部門ごと廃止と言うこともあり得るし、第一評価し、解雇する判断をするのは、直属上司であって「会社」という抽象的な存在じゃないはずだから。(このあたりは、クビ論とかに、トンでもなケースがいくらでも実際に存在することがわかる)

会社にとって有用でもポータビリティのないスキルしか持っていなければ、解雇されたときには、まずいでしょう。だから、会社との間でどんなギブアンドテイクが成り立っているのかは常時考えておかないとまずいはずなんだけど。

で、そのアタリは気になるものの、おそらく、突き詰めての、だからどうすかは、以下の部分だと思う。

 社会や職場が「定年」を決めてくれないなら、自分で決めるしかない。自分が何歳までどのように働き、その後何歳までどのように生きるか、というライフプランを自分で組み立てなければならない。定年がなくなったがゆえに、自分の年齢が持つ意味を考えざるを得なくなったのだ。話をより一般的に広げるなら、社会や職場が年齢にこだわらなくても、いやこだわらないというのであればその分なおさら、人間は生きていく上で、働く上で、これまで以上に年齢にこだわらざらるを得ないということだ。そう、逆説的になるが、エイジフリー社会とは、実は私たちに人生おける「年齢」の意味を考えさえせる「社会」なのである。(P212)

で、これって、CSR ( Career Self Reliance )の考え方でしょ。
ということで、結論はここに戻ってくる。

「エイジフリー」の罠 いつでもクビ切り社会 (文春新書)

「エイジフリー」の罠 いつでもクビ切り社会 (文春新書)