昭和三十年代主義―もう成長しない日本

2000年ごろより、世間に増え始めた昭和30年代を指向する現象は、なぜおこっているのか、という分析。

浅羽通明のこの本は、単純な「元気のある時代」だからというところではなく、「ALWAYS三丁目の夕日」、「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」が昭和30年代そのものではないこと、そしてそこに今後の経済の状況での一つの道が提示されていることを説明している。


昭和30年代ブームの背景にあるのは、「成長経済の終焉」という現象。そして、その終焉は景気変動ではなく、需要の飽和によるものであるという分析を採用している。

不況の真因―消費者にはもう買いたいものがない!
 構造改革から景気回復へと訴える論者達へ私が覚えたもう一つの素朴な疑問がありました。たとえ、企業がリストラでスリム化し旧い産業が淘汰され銀行の不良債権が処理され、また規制が緩和され癒着や既得権が廃され新規事業が起こしやすくなって、無駄に浪費されていたお金が有望な投資へ向けられたとしてもです。そこで新たに開発、供給されるだろう新規な商品やサービスを、私たち消費者は果たしてどれだけ需要するだろうか。実は、あんまり欲しがらず、かなりの人々がいらないとそっぽを向くのではないかという疑問です。(P149-150)

 
そこで引用されている、「経済成長の終焉」からの以下の文章

佐伯啓思教授はこう書きます。
「私的な消費財という意味では、食品、衣服、それに電気製品、自動車、ぜいたく品と、われわれは、ほとんどありあまるほどのモノの山に取り囲まれているし、それを生み出す十分な生産能力も持っている。90年代以来、長期不況が続くと言っても、それでも、日本のGDPは、80年代の2倍の規模に膨れあがっている」「今日の先進国全体小野状況は、むしろ生産能力の過剰に、市場が、すなわち消費者の欲望がついて行かない点にあると言ってよかろう。」「長期的に見れば、日本のような「豊かな社会」が、その資本ストックと労働力を使い切って生み出されると実を消費しつくすのは、大変なことなのである。いくら欲望は無限大だと言っても、現に生み出された消費需要ではとてもこの生産力を吸収できない。」(P151-152)

この状況認識のもとに、「自己実現」を真に受けなず、「普通」にいきることが必要だと指摘する。

自己実現」の煽りを真に受けて、目覚めたあげく、どこかのナニモノかへ上昇しようとする幻想、多くの若者が、自分がナニモノかであると思い込む背伸び、自惚れ、上げ底へ迷い込みました。(P260)

全体が縮小していく経済の中で、過去より上昇していくことは、困難になってきている。がんばったとしても、そこで成功できる保証はないし、むしろ成功できない可能性のほうが高いのだから、そこから離脱すべきだということだ。そして、阿部真大の「働きすぎる若者たち」にある、「仕事の中にある夢」を説くことは、低賃金で過酷な労働にしばられることになるという指摘をとりあげている。


「仕事の中にある夢」による承認ではなく、今後必要なのは「祝祭」による「蕩尽」だと


自己実現」できない現実、「仕事の中にある夢」が手にできない現実の中で、昭和30年代というモチーフが与えてくれるのは、「がんばれば、仕事の中にある夢が実現できる」ということではなく、それ以外のやりがい、つまり承認だ。

未だ、貧しく不便だった昭和三十年代は、それゆえに、日常を維持するだけでも、やらねばならぬ仕事が無数にあった。あったから、その数だけ人々の労働が必要とされ、誰にも居場所が空けられている。究極のワークシェアリング社会が営まれていた。そして、誰もがお互いを必要としあっているという関係を、日々、お互いに自覚してゆくために、感謝の言葉とか朝晩の挨拶とかがごく当然に必要とされ、間の信頼だのといった「心=人情」もまた、堅実な形で育てられていったでした。(P100)


必要とされていたということは、愛とか好意ではなく、「必要性」という利害的な関係がはいっていたということだということを指摘している。

「ALWAYS三丁目の夕日」で描かれる人情は、このようにつねに「不純」なのでした。つまり、純粋な人情では決してなく、必ず「必要性」とないまぜになっているのです。茶側は淳之介を可愛い可哀想と思うから世話したのではない。必要だったからです。茶川とヒロミは、ただ純粋に好きだから接近したのではない。好きあう二人が、父母という形で淳之介に必要だとなって初めて、急接近するが始まるのです。鈴木オート社長とトモエの夫婦愛だって、この夫婦の従業員六子への愛情だって、町工場経営の必要とともにあります。トモエが一人息子一平君へ寄せる母親の愛ですら、セーターのつぎあてへ縫い込んだ百円札という金銭がらみのエピソードによってもっとも感動的に描かれているのでした。(P93-94)


というわけで、この本のテーマは、サブタイトルにもなっている、成長が終わった日本にとって、へんに自己実現とかいっていると、閉塞感に陥ってしまう。多くの人は仕事を通じた自己実現なんかできなくなるのだから、そんなことは横に置いて目の前にある生活をしましょう。その生活の中に「祝祭」を取り込んで、そこで承認欲求をみたすしかないですよね、とまあそんなかんだろうか。


いずれにせよ、今の時代の人生の宝くじは、高度成長からバブルの時期とは当選確率が全然違っているわけで、この考え方って、現実を所与として考えると言う点では、マキャベリ的だし、それはつまり勝間的だったりもするけど、だからといって「13歳のハローワーク」を真に受けちゃいけない、あれはむしろ危険思想だという風にも解釈できそうな気がする。


上昇志向でいくにしても、Planned Happenstance という考え方もあるし。


昭和三十年代主義―もう成長しない日本

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