ネットで暴走する医師たち

この本は、ソネット・エムスリーの運営する掲示板を中心に、2chWikipediaといった媒体においての、「医療崩壊」に関する主張や、医療事故の被害者に対する「誹謗中傷」が、どのようになされていて、それはなぜなされているのか、というルポルタージュ

この本の趣旨をまとめると、たぶん以下。

ネットでの一部医師の主張は感情的で、客観的事実の確認(裏取り)がされていない。そのような情報に基づいた主張は医療被害者を傷つけるし、一般市民の感情と乖離したそのような主張は、結果的には医療の世界にまかせておけないということになるのではないか。

で、この背景として、著者は

 現実の中で他社と信頼関係を築き、自信と誇りを持っている人は、陰で他者を蔑むような「落書き」は絶対しない。
 ネットに誹謗中傷を書き込むのは、医療現場のパラダイム・チェンジに適応できず、地震や誇りを失った医師の「コミュニケーション不全症候群」の裏返しだと私は思う。( P223-P224)

と分析している。
ところで、そのあとのページで、著者は以下のようにも述べている。

 だが、想像してみてほしい。もし、弁護士限定の掲示板があって、そこで裁判の相手方を誹謗中傷したり、事実無根のデマを垂れ流したりする弁護士がいたら。当然、その弁護士は、弁護士会みずからの手によって、懲戒されるだろう。
 想像してみてほしい。もし、教師限定の掲示板があって、そこで気に入らない生徒や保護者を誹謗中傷したり、事実無根のデマを垂れ流したりする教師がいたら。当然、その教師は、他の教師たちから糾弾されるだろう。
 想像してみてほしい。もし、マスコミ関係者限定の掲示板があって、そこで事件関係者を誹謗中傷したり、事実無根のデマを垂れ流したりする記者がいたら。当然、その記者は、「ジャーナリストの資格なし」として、業界から追放されるだろう。( P228 )

つまり、ここで著者は、医師の社会がこういった自浄力のない社会だと批判しているのだけど、正直いって、ここで例示されている、弁護士、教師、マスコミに自浄能力があると、いま考えられているだろうか?
ネットで主張をしている医師たちからは、マスコミへの批判がなんどもでてきている。医師たちには、自浄能力の欠落したマスコミの主張は信用できない、という認識がまずあって、だから自分たちが発言しなければならない、と考えていると思う。

著者が、マスコミの「あるべき姿(報道前に事実確認を行い、感情的な報道をさける)」を評価基準として、報道の素人である医師のネットでの主張のレベルを批判するの対し、医師たちの側は、マスコミ(公平な報道をせず、自浄能力もない)の報道と比べれば、(報道には素人の)自分たちの主張、のレベルは低くない(むしろ、情報の品質が高い)、と考えていることがすれ違っているように思う。


この本で、著者は医師たちが、ネットに個人情報を流出させていることに対して、個人情報の取り扱いモラルを批判しているのだけど、これは医師という職業における「あるべき姿」、そんな医師たちを排除できない医師たちの社会の「あるべき姿」との比較での批判だ。
これ自体は正当な批判なのだと思うのだけど、問題はこの構造「ある業界のあるべき姿と、現実の間にギャップがあって、それを批判する」ということは汎用のフォーマットで、マスコミにも、きれいに当てはまるという事実。だから、著者の主張は個々にはただしいが、ネットでは「マスゴミが、おまえがいうな」と批判されてしまうように思う。



実際問題として、どんな職業集団であっても、逸脱している人は皆無ではないだろうし、「あるべき姿」との間には、いつも乖離があるだろう。医師の世界や、マスコミに特有ということではなく、すべての業界にそれはあるだろう。

じゃ、何が違ってきているのか、といえば、その乖離がネットによって広く世間に知られるようになった、ということとと、その結果として、どの程度のギャップが許容されるのか・批判されるのか に対する猶予幅の縮小が起こっていることだとおもう。

なので、責任感のない「べき論」でいうと、次に必要なのは、ある業界を批判することではなくて、どの程度を許容とするかの共通認識作りなんじゃないか、という気がする。




ネットで暴走する医師たち

ネットで暴走する医師たち