凹村戦争
西島大介の「凹村戦争」なのだけど、はたしてこれをどう評価すべきなのか正直困ってしまう。
ここでストーリーは、乱暴にいってしまえば、「ある村」にすむ3人の中学生の「日常」。その村は、周囲の町との交流も少ない閉ざされた空間だが、中学生たちはそのことにそれほど閉塞感を感じているわけでもない。ただ、彼らの村を残して、どうやら周囲は宇宙人に侵略されていっているらしい。そんな背景が、ぼんやりと、淡々と書かれたお話。
閉塞感のただよう日常ってキーワードはいまや珍しくないけど、その閉塞感の共有すらできない現実の二重の閉塞感がベースで、それはむしろ中学生ではなく大人だけが感じているのかもしれないとおもう。「閉塞している日常」というのがいまの中学生が知っている唯一の世界なのだから。
これが、「SFが読みたい」で上位にランキングされるということは、つまりSFなんぞ、読んでいる人というのは、そういう大人なのだろう。そういえば、先週のNHKの日曜美術館が、ベネチア・ビエンナーレの日本館(ヲタクをテーマにした例のあれです)の話で、そのなかで、「本当なら未来に希望をもつ少年たちが現実に失望して実在しない未来に逃避するのがオタク」みたいな話がでてきていたけど、やっぱりこれがSF読みベースなのかもね。
webをちらほらみていたら、西島大介と新開誠との評価のされかたに共通性があるという指摘を「pêle-mêle」ってページで発見。
http://d.hatena.ne.jp/yskszk/20050227
その中で作品自体の共通項として
地方都市が舞台、正体不明の「何か」が日常生活を脅かすという設定、
って指摘があるんですけど、これって、まさに今の現実だよね。地域格差の拡大とグローバル化で衰退している現実と、それを声にすることもできず(出せば、自己責任って批判が何倍もになった返ってくるわけで)ただただ閉塞している。
時代の閉塞感を象徴しているのは地方都市の生活だから、閉塞感を作品にしようとすると、舞台が地方都市になるのはある面当然かも と思う。
- 作者: 西島大介
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2004/03/24
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