曽根綾子と斉藤貴男
旭屋書店で、朝日新聞社の「一冊の本」の12月号をゲット。
曽根綾子の連載「晩年の美学を求めて」を読んで非常にいやな気分になる。
エッセイで曽根綾子は中越地震の被害者のことを取り上げている。その被害者の中の高齢者に対して、曽根綾子は、「せっかく戦争を体験したのに」座り込んで援助を待つのではなくて、自分からなんとかしなくてどうすると批判するのである。そして、しまいには、「国家のために、少しは働いて、ご恩返しするのが当然だ」とのたまうのである。
読んでいてどこかで見たロジックだとおもったら、例の「自己責任」ってやつと一緒。
被害者に、「被害にあったのは自分の責任で、それを救助するために国に負担をさせるのは、けしからん」という、アレなのね。
さすが、バカはただただ素直に働けばいいと(意訳)のたまった、教育課程審議会委員、三浦朱門と同じ穴の狢。
で、同じ号には、斉藤貴男も連載していて、彼は「戦時下における”あるべき国民像”」というタイトルで、バクダッドで殺された香田さんの件に関する読売、産経の報道と改憲論の背景にある国民統制の思想を指摘しているわけ。
ということで、誠に興味深い2つの論の対比でありました。
手に取る機会があったら読み比べてみると、よいのではないかと思います。
ついでに、筑摩書房から「希望格差社会」という本がでているようで、広告がでていました。おもしろいかもね。
- 作者: 山田昌弘
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2004/11
- メディア: 単行本
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