「満州国」見聞記

リットン調査団に参加していたドイツ人、ハインリッヒ・シュネーの旅行記


リットン調査団の報告書というと、日本が国際連合を脱退するきっかけとなったものだから、単に欧米列強利権連合が、日本を排除したかっただけのレポートだとおもっていたのだけど、微妙な団員の意見の対立があったりして、それほど単純ではなかったらしい。その状況が少し見えてくる気がする。


終章のまとめをみるかぎり、正義をもとめたものではなく、戦争回避という現実的な解決を志向するニュアンスが強そう(そりゃ、そうだろう。参加国はどこも植民地支配をしていたのだから、侵略自体を否定するのは自己否定だ)。だとすれば、あの段階の日本に満州利権の放棄を要求するレポートをまとめても無駄というのは、調査団はわからなかったのだろうか?それはわかっていたが、かといって日本に中国利権を独占させるくらいなら、戦争を続けさせた方がいいという政治的な判断が働いたのだろうか?


まあ、そういう趣旨の本ではないので、当たり前といえば当たり前だけど。



それより、おもしろいとおもったのは、中国側、日本側の有力者が誰も魅力的にかかれていることだ。袁世凱汪兆銘、張学良といった、教科書的にはさほどの人物としてかかれていない。が、シュネーには魅力的に見えている。まあ、考えてみればそうだろう。匪賊から軍閥にまでのし上がるのに、人間的な魅力がなければ、自勢力を統率できないだろうから。この本にはでてこないが、石原莞爾甘粕正彦もまた、個人としては魅力的な人物だったんだろうと思う。



あと、調査団は1932年(昭和7)3月から調査を開始、調査書をまとめ終わって提出したのは9月である。6ヶ月にわたって、アメリカから日本をへて中国、満州にわたり、再度日本を訪問して、北京で調査書をまとめている。
テロルの危険のなかを移動しているとはいえ、移動する先々でパーティーに正体され、なんとも優雅な調査だ。これだけの間、一緒に移動すればかなりのディスカッションができたんじゃないだろうか。一種、うらやましい旅程に思える。
いまだったら、レポートのまとめと調整に半年掛けることはあっても、現時での調査10日でおわるんじゃないだろうか。



船で旅行していた時代の時間感覚がうらやましい。





「満州国」見聞記 リットン調査団同行記 (講談社学術文庫)

「満州国」見聞記 リットン調査団同行記 (講談社学術文庫)