大暴落1929

こんな時代になったので読んでみた。
ガルブレイスの描くバブルの終わりは以下のようなもの。

このように、終わりがきたことをなかなか認めようとしない点も、典型的な投機バブルパターンパターンである。実際にはフロリダはとっくに終わっていたのだ。マイアミ市の手形交換高は一九二五年には一〇億六六五三万八〇〇〇ドルあったのが、二八年には一億四三三六万四〇〇〇ドルまで激減。債務不履行が続出する中、農家は担保流れの土地を取り戻せるようになる。結構な値段で先祖伝来の土地を売ったはいいが、それが元値の二倍、三倍、四倍の値段で転売されるのをみて、農家はしきりに公開していた。取り戻した土地にはしゃれた町名が付き、歩道やら街灯やらが備わり、課税評価額が市場価格の数倍に達していることもあったという。(P24-45)

なんか、90年代のバブル崩壊を彷彿とさせる。
ガルブレイスは、次のバブル発生の様子を以下のように予想している。

この先市場でなんの理由付けもなく投機の嵐が吹き荒れると言うことはあるまい。次なるブームでは、おそらく自由主義経済のすばらしい仕組みが改めてさかんに強調されるのではないだろうか。いやしくもこの経済システムの中で株主になろうとするからには現在の株価を受け入れてしかるべきだである、いや株価はどのような水準であろうとも妥当なのだ、などという主張がきっとなされることだろう。そしてこの手の論理にまっさきに賛同する人の中には、規制の権限を持つ人が含まれているに違いない。彼らは断固として規制不要論を唱えるだろう。一部の新聞も同調し、規制論者を攻撃するだろう。そうなると、何らかの規制が望ましいと考える人は、不心得者呼ばわりされかねない。(P303-304)

これって、ニューエコノミーとか、デカップリングとか、がまさにそうだったよね。で、以下の記述は、まるで今の時代の記述のよう。

そのうえ市場の外からもいやなニュースが舞い込む。どうやらファンダメンタルズが悪化し始めたようだった。週間の貨物輸送量が前年同期比で大幅に減少。鉄鋼業の設備稼働率も前週比で大きく下がった。さらに重大なのは、商品相場まで暴落癖を示すようになったことである。それまで商品価格は株価に同調して動いていたのだが、この水曜日には株とは無関係に下がるようになった。綿花は過去数週間で最大の売り買いが飛び交う中、急落する。小麦も正午近くに棒下げを演じ、「パニック」という言葉が囁かれるようになった。(P206)

その大恐慌の影響はその後10年近く続き、ニューディールもはたして有効だったのかは今でも議論になる。財政政策がきいたのかきかなかったのかは明確にはこの本では述べていないけど、以下の記述をみるかぎり、効果は低かったと判断しているように思う。

最後に、大暴落が発生したときの時代の空気についても触れておかねばならない。当時の無気力な空気は、何か手を打つことをことごとく妨げた。ことによるとこれがいちばん問題だったかもしれない。一九三〇年から三二年にかけては、現実に食うに困る人がいた。自分がそうなるのを恐れる人もいた。金持ちから貧乏人に転落し名誉も地位も失って呆然とする人もいたし、次は自分だと考えておびえる人もいた。そして誰もが絶望感にさいなまれていた。どうせ何をしても無駄なのだと皆が感じており、政策もそうした無力感に支配されていたために、結局ほんとうになにもすることができなかった。(P299)


もし、歴史がくりかえすのであれば、世界はこれからブロック経済をへて戦争の時代に突入することになる。

大暴落1929 (日経BPクラシックス)

大暴落1929 (日経BPクラシックス)