資本主義の未来 その2

資本主義の未来

前回、前半をまとめてからしばらく時間がたってしまったので別パートで後半部のマトメ

後半部で、サローは市場主義の拡大によってもたらされるのは、中世の暗黒時代の再現だと指摘している。


この本の後半でかかれているのは、資本主義と民主主義の対立と、資本主義によってもたらされる将来に対する投資の過小化という問題だ。この本の中の資本主義というのは、以下のスペンサーに関する記述をみるとはっきりする。

一九世紀の経済学者、ハーバート・スペンサーは、「適者生存」の資本主義という考え方を提唱した(のちにダーウィンが進化論を説明するために、この言葉を借用した)。スペンサーは経済的な強者にとって経済的な弱者を絶滅に追い込むのが義務だと考えていた。この動きこそが実は、資本主義の強さの秘訣であり、これで弱者が消えていくと見ていた。そこで、スペンサーは優生学運動を起こし、経済的な適者でない人たちが子供を作れないようにした。経済の力に任せておけば、上という情け容赦のない方法で同じ結果になるのだから、これがもっとも人道的な方法だと見ていたのである。スペンサーの見方によれば、社会福祉制度で経済的な弱者を救済するのは、いずれ飢えで死んでいく人たちを増やして、人間のの苦しみを増やし、長引かせることにしかならない。(P320)

なので、この本の中資本主義と民主主義という言葉が使われているが、今であれば、これは自由と平等、あるいは市場(原理)主義とケインズ主義と読み替えることが妥当だとおもう。


中世の暗黒時代の再現は以下のような仕組みによって起こる。


市場(原理)主義において、政府の政策は基本的に必要とはされない。政府が介入しなければ、市場によって選別が行われ、効率的な運用がなされるはずだというのが、市場主義の哲学だからだ。そして以下の理由でこの市場主義は失敗する。

公教育の提供は、結果的には社会全体の教育レベルを引き上げ、これによって、社会全体の生産性をひきあげることが期待できる。しかし、その効果が現れるのは最低でも教育をうけた世代が世の中で労働をはじめるまで、数十年かかる。市場はこの時間を考慮することはできない。なぜなら、ここには不確実性があり、かつ市場の資金は時間に対する割引率が高いからだ。サローはこの本の中で、教育投資のリスクを考えると用いられる割引率は30パーセントになると記述している(P365)。ジャンク債並の投資をできるのは、よほどのバクチ志向の人だけだろう。この結果、社会全体の最適水準より低い水準で均衡することになる。

その中で、一国が公の役割を増やせばどういう現象が起こるか。
公の存在によるコストはその国の中で負担せざるを得ない。グローバル経済下ではそれをきらった企業流出が起きることになる。

アメリカとの契約」では、平等と不平等の問題は州に任せるとされている。州政府が福祉と教育を担当すべきだという。しかし州政府は、この問題を扱うには最も適していない。質が高く、賃金水準が高い仕事を生み出す裕福な企業やコインは、高い税金がを払いたくなければ、そんなに税金がかからない州にさっさと移ってしまう。州相続税をかけると、金持ち間皆、死ぬ前に相続税のない州に住所を移してしまう。若者のかなりの部分は他の州で働くことになるので、州にとっては、若者に世界クラスの教育を与えるのは金のも無駄遣いである。予算項目の中で、教育予算は特に削減されやすい。これを削減しても、短期的には何の影響も出てこないからだ。不平等問題の解決を州の仕事にするのは、この問題の解決を放棄するに等しい。(P326)


経済のグローバル化によって、金融政策だけでなく、財政政策をとることも難しくなってくる。

ケインズ理論に基づく景気対策がやりにくくなった背景には、グローバル経済の出現もある。経済規模のきわめて大きな国は別にして、一国でケインズ政策をとるわけにはいかなくなった。国際的な金融市場が発達し、巨額の資金が瞬時にして世界中を駆け巡るため、国内経済の要請に応じてではなく国際金融市場が要求するままに金融政策を調整せざるをえなくなった。(P280)

そして、最終的に社会は将来に対する投資をますます減少させ、社会の進歩を失うだけでなく、現在の社会を維持することも難しくなっていく。
その状態が解消されるには、100年オーダーの長い時間を経なければならない。


これが、サローのご託宣である。



この他にも、宗教原理主義の台頭や、共産主義という敵をうしなった結果社会の内部に敵を作り出すといった構造など話(正直、詰め込みすぎだという気もするが)も興味深い。

サローは最後の章の中で、自分の経験と比較して、(1994年当時の)アメリカの状況を以下のように説明している。

私の家は教育に巨額を投資できるほど豊かではなかったが、わたしがウィリアムズ、オックスフォード、ハーバードで八年間にわたって教育を受け、1964年に経済学の博士号を取得したとき借金はまったくなかった。自分の稼ぎと民間の奨学金公的資金の組み合わせによって、教育資金はすべてまかなえた。今ではこれは考えられないことだ。私と同じ教育を受けた場合、巨額の教育ローンを返済しなければらならない。わたしなら、そんな借金はできないと考えるだろうし、ほとんどの人がそうだろう。そして、ハーバードの経済学部助教授でもらえる程度の給与では、とても返済できない。(P368)


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