ナショナリズムという迷宮

オリジナル版は、2006年の出版。中身は魚住昭との対談で国家論がメイン。で、今回は増補・文庫版で出版。違いは、小沢疑惑に関する記述が、後書きで追加になっていて、ここが結構読み応えある感じ。

佐藤優の本は、個々のパートは、なるほど、と思わせられるのに、内容をまとめようとすると、悩んでしまう。今回の本についても同じなのだけど、この本に関しては、あとがぎが全体把握のためのいいアドバイザーになってくれているとおもう。で、この本での佐藤優のメッセージは、以下。

佐藤 国家の目的は何かというと、自己保存なんです。そのためには国民から富や労働力を収奪しなければならない。国民に対して福祉という優しさを示すのも、ある程度、国民に優しくないと国民が疲弊して収奪できなくなるからなんです。金融面での規制を緩和して企業を促したのも、新しい収奪の対象を作り出すという側面があったといっていいでしょう。小泉政権における新自由主義的な経済政策も、新たに駐める者を作り出して収奪するためだと言えます。(P136)


なので、その趣旨にあった規制緩和はいいけど、そこを過ぎるとホリエモンになってしまうという話。

佐藤 逆に、国家にとっては新自由主義の行き過ぎですぎで資本が国家を超克しようなんてことになったら、非常に都合が悪いわけですね。なぜなら収奪ができなくなって、国家として存続できなくなるわけですから。
魚住 先ほどからの佐藤さんのホリエモンに対する評価から考えるならば、彼こそ行き過ぎた新自由主義そのものだと?
佐藤 そうです。彼はナショナルなものに価値を感じない本物の新自由主義者でしょう。ですから、ホリエモン憲法における天皇位置づけに関する違和感の表明や大統領制を肯定する発言も頷けますね。彼の逮捕容疑は証券取引法違反ですが、その意味についてはこう言えるのではないでしょうか。― 先ほど、「ホリエモンは超えてはならない日本文化のタブーを超えてしまった」と申しましたが、こう言い換えましょう。「”貨幣”が超えてはいけない日本文化のタブーを超えてしまった」と。(P137)